Have been SixTONESED by SixTONES

推しとか本命とか担当とか、そんなんじゃ言い表せない

前夜〜遂に来た!ニュージーズだ!

私は京本大我という人を大好きになってから、ずーーーーーーーーーーっと心に棲まわせている劣等感のようなものがある。

 

それは、舞台俳優としての京本大我を見たことがないという燦然と輝く一点。

 

これ、本当になんかつらい、ぼんやりと。

私は未だに、京本大我を構成するあまりに大きなそれを知らないんだ、という、劣等感のようなもの。

(本当の京本大我とは、なんだけれど)

出会った時が自分にとって最高で最上のタイミングであったと思うし、それ以前に気付けたとも思わないから、本当にこれは拭い去れないものだし、だからこそ、劣等感"のようなもの"として、自分の中で飼い慣らしていたところがある。

(多分一生、京本ルドルフに焦がれて生きていくと思うし、せめてこの心の隅に居を構えるこいつの色が薄くなるように円盤化なんぞしてくれはしないだろうかって思うんですよ、各お偉いさん方)

 

まぁそんなもどかしさも抱えながら、今吸収できるものは吸収せよ、と、大いに楽しんで応援をしてきた私にもようやく、ようやく、本当にようやく舞台俳優として、京本大我がアイドル/SixTONESとは別に、もう一つの道として、見据えるものを喰らえる時が来た。

今の私は、未知なものにちょっと震えているから、だからこの気持ちを書いておこうと思った。

 

私は京本大我という人のパフォーマンスや、パフォーマンスにかける情熱がとても好きで、その熱に浮かされてきた。

でも、多分、舞台俳優って"生きる"ってことだから、これまで見てきた彼とは全然違うものを見てしまうと思うし、アイドルと舞台俳優としての二足の草鞋を履くことを決めたってことは、やっぱり別軸ってことで、そうなると全然違う京本大我に出会ってしまうってことなんだろうな、と捉えている。

(同じことを何度も言っているだけ)

その場限りの、その時だけにしか出来ないものを重ねていくっていうのがどういうことなのかな。

どういう顔をするのかな、どういう肉体の動きをするのかな、私の心はどう動くのかな、私は何を想うかな。

全部全部未知で、でもそれを「知ってしまう」ことを待ち望んでた。

本当に待ち望んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

多分、劣等感のようなものがなくなることはないけど、きっとニュージーズを皮切りに私の心のキャパシティは広がるから、占有面積が結果小さくなるかもな、だと良いなと思っている。

そんな前夜のお気持ち。

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