拭っても曇りが取れない話
危機だ。
比較的従順に大らかにオタクをやってきたつもりが危機だ。
地雷を踏まれてしまったような心持ちで、未だ気持ちを上手く立て直せないでいる。
これまで勝手に私が築いてきた私の中での彼への信頼が曇ってしまって、それが取れない。
オタク特有の誇張表現じゃなくて、本当にここ数日塞ぎ込んでしまっている。
梅雨だし。
○○○○○○○○○本物かぁ。○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○ https://t.co/ozsZHaCGU5
大袈裟に思うかもしれないし、何とも思わない人もいるとも思う。
でも私にとっては結構キツかった。
これは無闇に彼を糾弾したい訳ではなく、むしろ慮るべきところもある場面であり、最終的にはそういう環境に陥っているのが憎いという話なのである。
でも、何にしたってちょっとでも悪く言われてるのが許せない人は読まないでください。
つまりこれは煙たがられるオタクのお気持ち表明ってやつ。
「同性に認められると本物って感じがする」
※ご本人の発言と当初の記述である上記に相違があるとのご指摘をいただきました。
私はまだ音声を聞き返せるまでに至らないため、ご指摘をいただいたままにご本人の発言部分のみ下記にて訂正させていただきます。
誤った記述となり、申し訳ございません。
なお、以下続く文章において「認められる」と繰り返し記述している点については、訂正後も私が受けた印象に大きな変化を及ぼさないため、原文ママとさせていただきます。
ご本人の発言を受けた私の拡大解釈としてご理解いただけますと幸いです。
「同性に好かれると本物って感じがする」
ずっと、私の脳内と心に引っかかりじりじりとズキズキとしている音声だ。
今まで幾度となくこういった文言は目にしてきた。
インタビューでもそれに近しいことも目にして、その度チリっとしていた。
アイドルに限らず、バンドでもなんでも昔からこういう表現がある。
何故、同性に認められると本物なのだろう。
異性から認められることは本物ではないのだろうか。
性別が異なるだけで、私の好きが本物ではないと言われたようで悲しく、気持ちが落ち込んでしまう。
そして何より、あぁこの人自分のファンのためにこのシリーズに取り組んでいるなと、日々嬉しく思っていたところに、それが音声で届けられてしまったことで強張ってしまった。
勿論、
「同性に認められることは本物である≠異性に認められることは本物ではない」
だと思うし、彼に対するところの異性である私が彼を認めることを彼が否定しているとは限らない。
これは彼が言ったことが意味することを的確に理解出来ないので「限らない」としたんだけれど、短いながらも応援してきた中で、彼がそういった思考を持っている訳でないと願いたいし、少なくとも私が見てきた中で、自分のファンに向けられる眼差しは真摯だなと感じてきた。
現に、そうは言っていないし。
だから言っていないことに思いを巡らせているのは拡大解釈とも言えるし、厄介者なのかもしれない。
あくまでプラスオンで言ってるんだろうなと解釈するのが良いんだと思う。
そして、以降は彼がどう感じているかどうかとかの話ではなく、「同性に認められることが本物である」という比較的流布されている価値観についてうだうだとうだる。
そもそもなんだけれど、ここでいう「同性に認められることが本物である」これって女性のアイドルやバンドに使われるだろうか。
全くないとは言えないけれど、正直あまり聞かない。
個人的な感覚として、むしろ「女性なのにパワフル」とか「本格派の」とか冠が付けられていないだろうか。
対男性に対しての冠。
つまり、「同性に認められることが本物」というよりも「男性に認められることは本物」ってことなんでしょ、とそれは昔から感じている。
男性アイドルだろうが、女性アイドルだろうが、「男性に認められると本物」となっていないだろうか。
例えば、女性アイドルに関しては一旦置いておくとして、いわゆる「女性がメイン顧客である」ような、男性アイドルや男性バンドにおいて、男性客は演者からも有難い存在として認識される。
これは、メインの顧客層が女性ばかりで来にくいところもあるだろうに、足を運んでくれたりしてありがたいという気持ちも十二分にあると思う。
けれど、結局異性(ここでは女性)はアイドル性(見てくれ的なもの)が好きであり、同性はそうではない(これもそもそも異性愛者ベースの考えだと思うんだけど)。
つまり、顔だとか表面的なことではなく、自分達の表現したいこと、スキル、パフォーマンスを見てくれている=本質的な部分を認められているという図式に私は見えてしまう。
この考えは捻くれているだろうか。
ファンとしての在り方は、人によるだけで性別の違いが根本的にあるのだろうか。
むしろ、私はかつてジャニーズを顔だけで中身が伴っていない人たちが多いというド偏見を持ち合わせていた。
ジャニーズだけでなくバンドだってそう。
異性だからといって、いわゆる本質的な部分が伴わないならしょーもないと思っていた。
ちなみに、ここではアイドルの本質がどの部分であるかは一旦置いておく。
そこはまた別の議題だし。
つまり、好みとか何に魅力を感じるかの話だし、個人差でしかないと思う。
これって「アイドルなのに」って冠とも通ずる話だ。
アイドル自体が低いものとして見られていることと。
私にとって好きな人たちは、外側も内側も好きなつもりでいるし、私なりに真摯に好きなのに、私の在り方は本物とは認められないのだろうか。
言葉のあやだと思っても、拭い去れないざらつきが残る。
なんかこれも随分と傲慢な欲望だ。
認められようが認められなかろうが、自分なりに好きであれば良いんだけどね。
ここで、何故そうなってしまうのだろうと考える。
ジャニーさんが亡くなった時、テリー伊藤氏がワイドショーで言い放っていた言葉が思い出される。
ニュアンスだけれど「ジャニーズさんの舞台は本当にエンターテインメントである。だけれど、客は若い女の子ばかり。もっと男性が見て、評価されるべき。本当に素晴らしいエンターテインメントを創出していた。もったいない。」というようなことを言っていた。
当時、私はジャニーズを好きでもなんでもなかったけれど、無性にいらっとしたことを覚えている。
若い女性がまるで何も考えず、「本当のエンターテインメントが何か」なんて感じずに、キャーキャー言っているだけだと思っているんだな、随分と女性蔑視だなと思った。
確かこれは当時も炎上していたように思う。
ジャニーズに肩入れしていない私ですら、イラついたのだから、好きな人からしたらたまったもんじゃないだろう。
女子供が好きなものだから本物ではない、と馬鹿にしているのは既得権益を持つ男性ではないだろうか。
つまり、これは頑張っているアイドル達にも向けられている侮りなのだ。
どれだけ頑張っても、良いものを作ろうと、「女子供が好きなアイドル風情なんか大したことはない」という目線があり、それがたまに突出すると「アイドルの割によくやってる。認めてやろう。本物だ。」という眼差しに変わる。
少々、誇張して穿った書き方をしたけれど、これは今まで生きてきて何度も私が感じてきた劣等感によるものだ。
既得権益を持つおっさんに「何も分かってない女子供にキャーキャー言われて気の毒だ」と哀れまれて、当の本人たちはどう思うのだろう。
だから、そういう眼差しの中で励むアイドル達が、ぽろっと「同性に認められると本物って感じがする」とこぼしてしまうことを、責められない。
そういった中で励み、戦っているかもしれないと考えたら、世の中に蔓延る女性蔑視まで波及して憤ってしまう。
これはもはやオタクとしての私っていうか、今まで生きてきて馬鹿にされてきたことや戦ってきたことへの憤りなんだなぁ。
ここまで書いて気づく。
声高に糾弾したいわけではないけど、矮小化して閉じ込めておくことも出来ないし、別にこれは本人にどうなってほしいとかでもない(いずれ気付いてくれたら嬉しいけど)
かといって、良きオタクであろうとして自分の中で見て見ぬ振りも出来ん。
お互い人間だものね。
同性のファンが増えていくことを喜ぶ気持ちを勿論尊重したいし、一人でも彼を彼らを「認める人が増えること」は彼、彼らが本物であることにほかならない。
彼には彼なりに生きてきた中での価値観の形成があり、私には私なりの生きてきた中での価値観の形成がある。
違和感を感じることも感じないことも、慮れること慮れないことも、当然あって、彼が私のことを理解することはなくても、私は彼のことを理解することはできる。
自分にとって完璧な人間はいないし、求めてもいけないし、日々の営みと同じで折り合いをつけていくしかないのだよね。
家族だって友人だって、どこかしらに自分とは折り合いのつかないものを持ち合わせていて、誰かにとっても私はそうだし、それでも人間関係は紡がれていて、好き/嫌いの二択ではない。
嫌いになれたら良かったかもしれないけど、それでも余りあるほどに魅力的な部分を沢山見てきたから、多分苦しい。
拭っても拭ってもまだ曇りが取れなくて、ぐにょぐにょ色んなことを考えて、ちょっと疲れてひとやすみ。
梅雨明けくらいに晴れたら良いなぁ。
ずっと考えてると落ち込みループにはまるし。
そろそろ一区切りつけたいなと思って、文字にすれば自分の中の有象無象に向き合えるし。
言葉不足もあると思うけどご勘弁を。
この気落ちしてる間、ずっとWANIMAの眩光とあの日、あの場所にお世話になってます。